アリスの同類

図書室からはじまる、冒険。 学校司書の備忘録です。

ターシャ・テューダーとエミリー


本屋に行く。

先月は小さな「こだわりの本屋」でずいぶん楽しんだが
昨日はデカい本屋に腰を据えた。

どうも足が痛いなあと思ったら、3時間たっていた。
こんなこと、小さな本屋ではできない。

夢中になっていたのは
「ターシャ・テューダー」コーナー。

花に関する諸々の諸雑誌と洋書絵本のコーナーの間に
うまいことターシャのコーナーが収まっていた。

クリスマスから新年にかけて、カレンダーとしても人気が高いターシャの庭だが、
彼女の画集でコーナーを作った本屋はえらい。

棚の上部からあたるライトは暖かい色。

私が時間を忘れてうっとりしていたのは
「ターシャ・テューダー」×「エミリー・ディキンソン」の本。

まぶしい庭へ
エミリー・ディキンスン
KADOKAWA/メディアファクトリー
2014-07-04


「まぶしい庭へ」  
エミリー・ディキンスン (著), ターシャ・テューダー (イラスト) 


「BOOK」データベースによれば

 “アメリカ文学史上の奇跡”と讃えられるディキンスン。生涯、自然を友とし、描いてきたターシャ。ふたつの才能が出会い、世界の見えない扉が開いていく…22編の詩を収めた詩画集。 




ターシャは他にも様々な詩に自ら挿絵を付けた本を何冊も出している。
その中でもエミリー・ディキンソンは多く扱われている詩人。



「心に風が吹き、かかとに炎が燃えている」
ターシャ・テューダー 編・絵(メディアファクトリー)





「ローズマリーは思い出の花」
ターシャ・テューダー 著(メディアファクトリー)


エミリーの詩は難解なものが多いと言われているが
原語を読む限り、難解なのではなく、彼女はそのようにしか書けなかった、という方が近いのではないか、と思う。
今ならば何とでも名前がつけられるであろう、彼女の特性が色濃く表れている言葉の繋ぎ。

「The Woman in White」と呼ばれた彼女の、内へ内へと向かう果てない宇宙。
エミリーが住んだ彼女の両親の家も、ターシャの庭同様に、花で一杯だったそうだ。

生前、地方紙に掲載された彼女の詩はどれも
「出してもいい」とようやく判断された「指の数だけ」のみ。

彼女の死後、残された膨大な詩を出版しようと奔走したのは妹だった。

youtubeに彼女の生涯をつづった動画がある。
https://youtu.be/qiHWnwUwACs?t=312

そしてこちらはエミリーの"The Brain is wider than the Sky"~頭の中は空より広い~についての考察である。
http://engl1022websiteproject.wikispaces.com/THE+BRAIN+IS+WIDER+THAN+THE+SKY


The Brain -- is wider than the Sky 

The Brain -- is wider than the Sky 
For -- put them side by side 
The one the other will contain 
With ease -- and You -- beside 

The Brain is deeper than the Sea 
For -- hold them -- Blue to Blue 
The one the other will absorb 
As Sponges -- Buckets -- do 

The Brain is just the weight of God 
For -- Heft them -- Pound for Pound 
And they will differ -- if they do 
As Syllable from Sound 

新海誠を小説で


小説 秒速5センチメートル (角川文庫)
新海 誠
KADOKAWA/メディアファクトリー
2016-02-25



 あろうことか、新海誠に小説から入ってしまった私には、
映画の『秒速5センチメートル』がひっじょーに惜しく感じられて仕方ありませんでした。

それ程小説が良かったんです。

三章だてのお話で、ロマンティックなジュブナイルで始まり、どうしようもない切なさ、『なんでこうなるかな?カタルシス求む』みたいな。
読みながらイライラするんです。
で、こういう男って実は1番残酷なんだよーとか、女子の気持ちになりきって舌打ちしたくなりました。


映画では肝心な3話目がほぼ全編、山崎まさよしの『One more time One more chance 』 の曲(歌詞が主人公の独白のようにハマってる!)になっているんです。

なので映画はひたすら切ないだけで終われる。

主人公の男の気持ちに入り込むことができず離れてゆく女は映像だけで何の説明もありません。
そりゃ美しいんです。

新海誠の小説がハルキワールドにかなり近いことは読めばわかるんですが、
私はハルキストにはなれませんでしたし、深海の小説の方が受け入れ易いんですね。

これはもう個人的な好みとしか言いようがありません。

で、女が絶対に恋愛対象にしてはならない男。

男ならわかる微妙な感覚なのかもしれないけれど、
これ程女にとって傷ついてしまう優しさだったり優柔不断さだったりする、
ある意味氷のように冷たい男が、小説版にはハッキリと浮かんでくるんですね。

こんな男、絶対やだわ〜ってなもんです。

でも映画はそこまでシビアじゃない。
イケメンで優しくて、傷つきやすい男。

小説ではその優しげな草食系男子の、『何でだよー』と叫びたくなるもどかしさがイライラするんですが、そこが救いようがなくて、良いのです。

映画は優しいけれど、それだけで終わってしまう。


小説 言の葉の庭 (角川文庫)
新海 誠
KADOKAWA/メディアファクトリー
2016-02-25



一方で『言の葉の庭』は映像美がこれでもかと押し寄せてきますので、映画が断然良い。

雨のシーン、電車、街の風景、新宿御苑の緑、靴、ユキちゃん先生の胸と脚。

先に小説を読んで、小説でも十分満足できる世界を頭で描けたのですが。

映画の中の雨のシーンに、やられました。

全部が美しく、15歳の主人公タカオが老けて見えようと、んなこたどうでも良いのです。

この映画は本当に好き。
終わり方もほんのすこしだけ救いがあって。

しかも『君の名は。』でユキちゃん先生は教卓に戻っていますし、いつかタカオが本当にユキちゃん先生の前に靴を置く日が来るといいなと余韻が残るのが嬉しい。




小説 君の名は。 (角川文庫)
新海 誠
KADOKAWA/メディアファクトリー
2016-06-18



で、『君の名は。』は、映画も圧倒的でしたが、小説もいいんです。
新海誠が異質の存在なのは、『君の名は。』以前の初期作品をほとんど自分一人で作ってきたところにあるそうです。
すごいとしか言いようがない。

でも『君の名は。』には多くのそうそうたるプロフェッショナルが関わっているんですね。

多くのスタッフの手で深海作品を極上のエンターテイメントに仕上げたわけですが、小説版では新海誠がストレートに出ていて、細かい心理描写が冴えているのです。

『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』は映画だけで、小説版があるのかも知りません。
新海誠にとって、どうしても描きたいものは実はSFなのかどうかもわからないのですが、
実はある種のSFには常に叙情性が表裏一体となって表現されているという、
その一例ではないかと観ていて思いました。

『君の名は。』ではその融合加減が最高に良かった。

もちろんSF世界はスターウォーズでありエイリアンであり、なのでしょうけれど、
2001年宇宙の旅も、ETもそうであったように、
ブレードランナーの原作でさえそうであったように、
たまらなく懐かしい、どうしようもない人間らしさへの希求がそこに描かれているように思うのです。



若くして大切な人を失う、このテーマは繰り返し使われてきました。


地震や災害は多くの年端もいかない子どもからお年寄りの身にも『喪失』を現実にして。
戦後に生まれた私たちでも「大切なもの」がある日突然失われる、そこから完全に逃がれられてはいないのです。

みつはの住む町が彗星に破壊されたように、一度失ってしまったものがあるからこそ生まれる「取り戻したい」という渇望。
子どもならわけがわからず、大人なら諦めようとするかもしれません。
でもそうできないのが瀧の若さ。

だから彼らが主人公なのだ。と思うのです。

みつはと彼女が住む町を救いたいのは、観ている私たちも同じ。
瀧は言ってみれば誰でも良い、観るものが自分を投影する鏡。


『君の名は。』は、1回観たからといって全てがわかる映画ではなく、勿論それは一瞬の映像の中に多くの情報が入れ込んであることもですが、感情の振り幅や奥行きの深さを味わうには何度も観るべき映画でした。

監督本人がテレビ放送に先立って言ったように、映画の冒頭数分間に作り手の思いの殆ど全てが凝縮されている。
冒頭の細切れのカットに、失った人や戻っては来ないものを取り戻せたら‥という切なる願いが込められている。

私がこの映画に泣かされたのは、紛れもなくこの映画がある種のTime Machineであり、映像を通して経験したことのない現象、行ったこともない場所、若さというそれそのものに、文字通りぶっ飛ばされたからなのだと思います。



『小説 君の名は。』を映画製作中から書き上げてしまった理由を、新海誠はこう書いています。

この物語は『アニメーション映画という形がいちばん相応しいと思っていた』と前置きした上で。

『個人の能力をはるかに超えた場所に、映画はあると思う。
それでも、僕は最後には小説版を書いた。
書きたいといつからか気持ちが変わった。
その理由は、どこかに瀧や三葉のような少年少女がいるような気がしたからだ。
この物語はもちろんファンタジーだけれど、でもどこかに、彼らと似たような経験、似たような想いを抱える人がいると思うのだ。大切な人や場所を失い、それでも もがくのだと心に決めた人。未だ出逢えぬなにかに、いつか絶対に出逢うはずだと信じて手を伸ばし続けている人。そしてそういう想いは映画の華やかさとは別の切実さで語られる必要があると感じているから、僕はこの本を書いたのだと思う。』



メディアが良くも悪くもこれだけ影響力を持つ時代に、意外にも変わらない柔らかな何かを持ってクリエーターをしている人がいるんだなと驚いたと言えば甘いでしょうか?
被災した方々が生きる今にも、問いかけるような物語。
だからこそこれまでの新海作品とは違って、きちんとハッピーエンドが見える結末で良かった。

この本に関しては、映画を観てから読むと尚良いかもしれません。
文字を通して頭の中に映像と音楽が一緒に流れ。
そこに小説版のナレーションを自分で入れ、もう一度言葉として彼らの気持ちを追うことができるから。



新海作品の主人公たちが実際には肝心なところで携帯で手軽に連絡を取り合っておらず、(時空がねじれてますんで無理な話)新海自身、映画製作と同時進行で小説化を進めていたことを考えても、作り手は『携帯後の世界』だけに向けて作品を作っていたわけではないことが伺えます。

大人になってしまってからでは入り込めない質の高い作品世界は、やはり今でもあった。

人生のどの時点で何(どんな作品)に出逢うかによってその人の人生の選択肢さえ変わってしまうように思えます。
私が中学生の頃にハマった映画と、幼い頃初めて見た映画をあの当時、同時に観ることは不可能。
人生のどの時点でその作品に出逢うかは、選べなかったのです。

今は違う。
観たいと思えばどんな映像も映画も、子どもでも観ることが可能。
同世代とでさえ同じ文化を体験していないこともあります。

それでも。
ジュブナイルでありながら、全世代に訴えかける映像と、叙情性。
映画の中で前面に出過ぎない音楽。
小説では繊細な気持ちに更に涙させる。
こんな才能があるのかと脱帽。
RADWIMPSと新海映画を居酒屋から電話一本で繋げた川村元気にも。

小説版の後書きに新海自らが書いているように、『映画と小説は別物』。
映画で描き切れなかった物足りなさを小説で補完している部分があったと。
成る程と思いました。


萩原朔太郎の詩、『空いろの花』には、
「かはたれどきの薄らあかり」のひと時に、恋する男子の物想いに耽る様子が描かれていますが。

男性の方が、よほどロマンティスト、な気がします。

 

『翻訳できない世界のことば』

『翻訳できない世界のことば』
エラ・フランシス・サンダース/著
創元社

翻訳できない世界のことば
エラ・フランシス・サンダース
創元社
2016-04-11

 

本のプレゼントはとても嬉しい。
 
著者はなんと二十代。色々な国に住んできたそうです。
 
発行元が創元社というのが、私にとっては泣きたくなるほど嬉しいのです。
 
私の言葉のアンテナは、この本を読む限りドイツ語に波長が合うようです。これは新たな発見❣️

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Paradise

『Paradise』

「I have always imagined that paradise will be a kind of library.」

〜Jorge Luis Borges(ホルヘ・ルイス・ボルヘス)

ニューヨークのお土産に頂いたポーチに書いてあった一節に、胸を突かれました。

アルゼンチン出身の短編作家、ボルヘスの言葉だそうです。
 
グリム兄弟同様、図書館の司書(グリム兄弟とは司書の意味合いが違いますが)をしながら執筆し、不遇の時代を経て母国アルゼンチンの革命後、国立図書館の館長になりました。
 
ショーン・コネリーが主人公のミステリ映画『薔薇の名前』。

薔薇の名前 The Name of the Rose [Blu-ray]
ショーン・コネリー
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-09-07


 
その原作の登場人物、盲目の図書館長ホルヘはこの作家をモデルとしているそうです。
 
『現代文学の神』と呼ぶ人もいるほど、知る人ぞ知る存在なのだそうです。
 
勿論私は知りませんでした‼️

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『学研 自分のみらいを考えるシリーズ どんなしごと?』

『学研 自分のみらいを考えるシリーズ どんなしごと?』

学研は学習まんが『ひみつシリーズ』を毎年各学校に無料配布します。
まんがですので子どもにはとても人気があります。
 
他社との競合もあるせいか、新しいシリーズを始めたようで、仕事に関する本の1巻目が届いていました。
多分取り上げてもらう企業がスポンサーなのでしょう。
 
『カップヌードルのしごと』って、なんやねん?と不思議に思って読んでみました。
さすが、学研。よく出来ています。
 
ワークシートまで付いていて、授業の『仕事調べ』にぴったりです。

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最後に載っていたカップヌードルの生みの親、『安藤百福(あんどうももふく)』さんの人生、たった1ページとはもったいない。
 
こちらをもっとくわしく読んでみたいものです。

せっかくでしたので、『安藤百福さんがカップヌードルを発明した年齢』 を今週の『本からクイズ』にして掲示版に貼っています。

『本からクイズ』はクイズの出典の本が借りられるように側に置いていますので、普段手に取られない本から探します。

一方掲示物で作ったクリスマスツリー。
画用紙で作ったツリーの飾りは子ども達が好きな本を書いて自分たちで貼る参加型です。

カップヌードルとは何の関係も無いので、来週はサンタに関するクイズにしようと思っています。 

 

エリック・カールは原書で


『エリック・カールは原書で』

今日は4時間、図書室利用のクラスがあった上、保護者ボランティアの活動がその間に入り、まさに話し通しの1日でした。
6年生、2年生2クラスには読み語りも入りましたので、3年生が来た時には疲労もピークに達していました。

こんな時に私が使うのは、エリック・カールの絵本。
この『Brown bear,  Brown bear,  what do you see❓』は、エリック・カールは挿絵のみのようですが、日本でもとても人気のある絵本です。

この本は世界各国で翻訳されていて、国によって絵も内容も少しずつ違うそうです。
最後の『先生、先生、なにみてるの❓』は日本版ではお母さんに変わっています。

エリック・カールの絵本は、絵ももちろんですが、原書は言葉のリズムがクライマックスに畳み掛けるように繰り返され、最後にカタルシスをもたらす、そんな絵本が多いのです。
これは読み手にとって大きな楽しみの一つで、私は最初は動物たちの色と名前をゆっくり読み、日本語も入れていきながら、最後は早口言葉のように言葉を繰り出して終わります。

これを歌ってしまうと幼稚園になってしまいますし、全編を訳しながら読めば、英語のクラスになってしまいます。
悩むところではあります。
前半をしっかり日本語で補っておくと、後半のリズムは英語のままで子どもたちもリズムを取りながら『青い馬!』とか『黄色いアヒル!』などと言いながら意味を確かめています。

読み語りを繰り返していると疲れるのですが、この言葉遊びのリズムからは元気が生まれます。
良くできた外国の絵本を原書で読む楽しさは、抗い難い誘惑でもあります。

 

伝記を読んで自分の生き方を考えるそうなんです

今年度、小学校2校で学校司書をしています。

5年生の国語では、『伝記を読んで自分の生き方を考えよう』 ということで『伝記』の本が多く借りられています。

一方の学校。
どっとクラスでやってきて、先生の指示は
『伝記を読みなさい。絵じゃなくて文字の書いてあるものしかダメ‼️』 。
『伝記』 そのものは2類ですが、スポーツ選手や漫画家などの伝記(存命ではあっても)は7類にもあります。
この先生は司書の存在が授業の邪魔になると思っていらっしゃるようです。
最近まで、何とカウンター業務の貸し出しもそのクラスにはさせてもらえませんでした。
時間が無いのもわかりますし、余裕がない中やっと図書室に来てくださっていることには頭がさがりますが、『どうせこんなこともできないんでしょ、おばさん。』
というお気持ちが毎週ヒシヒシと伝わってきます。


そこで『イチロー』 の選手生活をまとめた本を借りにきた男子に
『よく見つけたね。これも立派な伝記だね。』 と声をかけました。

先生は即座に反応され、『スポーツ選手の本を読んでもいいよ!』 とクラスに言いました。


さて、もう一方の学校の5年生の先生。

私の勤務日を待って図書室まで来られ、まず単元とそのめあての説明をしてくださいました。
『エジプト考古学が好きな男子に吉村作治。漫画好きな男子に藤子不二雄、歴史好きな女子にジャンヌ・ダルク。あとは数が足りなかったのでアンネ・フランク』
これら子どもが望んでいる本をできるだけ早く集めて貰いたい旨を伺いました。

難問奇問でしたが、ネットと図書館で『ハワード・カーター』までたどり着き、あとの本も何とか揃いそうです。

午後はクラス利用の予定はありませんでしたので、予定の仕事を片付けると管理職の先生にお願いし、すぐに公共図書館に行くことにしました。
公共図書館が遠かったり時間が無い場合は休日に借りに行くのですが、私の働く地域ではそれは仕事としてカウントされません。
クラス利用に支障が無ければ、できるだけ時間中に外勤として図書館で貸し出しを受けるようにします。
この日は出勤日の都合もあり、即座に対応することにしました。

図書館に出向く前に、蔵書から子ども達が借りて行った後の伝記の書架を調べました。

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キュリー夫人が3冊残っていました。

下の本は物語。研究内容には軽く触れる程度で、私もこのタイプの本を読んで育ちました。
右上の本はキュリー夫妻の研究内容にも詳しく、その人生も詳細に調べやすい見出し付きで載っています。
この本にはキュリー夫人が2度のノーベル賞受賞者でありながら、1度目は産後で参加出来ず、2度目はスキャンダルのせいで参加を拒まれた経緯があったことにまで言及されていました。
ところが下の物語では、2度とも授賞式に出席したことになっているのです。
些細なことではありますが、成果物としてまとめる以上、『物語』だけでは資料として不足かもしれないなあと思いました。
上の2冊には索引と年表がついており、難しい言葉の解説、何歳で何が起こったかも一目瞭然です。
『生き方』に共感を感じるならば物語も有効ですので、できるなら両方の本の一部分でも読んでおくと成果物としてまとめやすいのではと思いました。


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こちらの『ヘレン・ケラー』は優れものでした。
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年表が子ども向けにわかりやすく。

前からは物語として、後ろからは資料として使えるようになっています。
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このページを見ただけでも、何をまとめて書けば良いかの参考になりそうです。

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このクイズの答えを探せば、ヘレン・ケラーの生涯のポイントが掴めそうです。
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図書館まで出向く前に先生とお話しできましたのでこれらの本をお見せすると、次の出勤日に『こんな風に資料を使っては❓』という本の紹介をしてほしいと依頼を頂きました。



図書館で借りたこの絵本風シリーズもわかりやすく、使えそうな本です。
シリーズで学校にも入れたいと思いました。

同じ5年生に同じ司書がいても、先生によって子ども達に提供される資料と、その利用の仕方にはこれだけの差が出ます。

こちらの学校の5年生は、『大造じいさんとガン』でもブックトークの依頼がありました。
一冊残らず椋鳩十の本が借りられていった後、このクラスの図書委員はPOPの紹介本に『孤島の野犬』を選びました。私はこの本まで読んでいませんでしたのでびっくりしました。


司書とハサミは使いよう、です。



 

化学反応か作家の意図か?『ぼくのいいとこ』

ぼくのいいとこ
スティーヴ メツガー
少年写真新聞社
2016-10-14



毎週やって来る1年生のクラスに、毎週色々な本を選んで読んできました。
今日は『ぼくのいいとこ』スティーブ・メッガー作を読んでみました。

所謂大変なクラス、ということは何となく知っていたのですが、子ども達の自己評価が低いという印象がありました。

 
作者のメッガーは元教師。
現在は絵本やホームページで子供の行動研究の見地から教育者や保護者のサポートをしています。

こちらがHPです。
http://www.parentingpress.com/

この人の『きもち』も読みましたが、特別好きになれるタイプの作家ではありませんでした。

きもち
ジャナン・ケイン
少年写真新聞社
2013-09-18

 
ところが。
 
クラスはシーンと集中して最後まで読み語りを聞いた上、先生が感想を聞くと、次々に手が上がります。

『こんなに面白いとは思わなかった』と言った男児。
 
正直、どこが面白かったのか、私には全くわかりませんでした。
 
『私のいいところで、先生をおこらせないようにしたい』と言った女児の言葉には、後で1人で涙しましたが。

 
私は読み語りを大人目線でしかない『お仕着せ』にしてしまうことに興味はありませんが、今日のこのクラスとの化学反応には、暫し呆然となりました。
学校図書館では読み語りを依頼があった場合のみ、言語活動の一環として行うものだと思っていましたので。
 
絵本を読んでもらう時間を楽しみにしている子どもが沢山いることも知っていますが、授業者はあくまでも先生です。
 
初めてついてきていた支援員の先生から、
『図書室で、このクラスはいつもこうなんですか?昨日はとにかく酷く落ち着かなかったのに』と聞かれました。
申し訳なかったのですが、『その日読んだ本にもよるのでよくわかりません』としか返事ができませんでした。
 
私にとっては本の力もさることながら、その中味を自分に引き寄せる子どもの力に、心底恐れ入っていたのです。

今日の1年生の集中は、何だったのでしょう。

絵本を読んでいた私もざっと目を通しただけで何の練習もしていませんでした。



実は先日とあるプロの表現者の方に日本語講座の録音されたものを勧めて頂き、ずっと聴いていました。 

聴きながら思ったのは、イントネーションを標準語とされる日本語に近づけ、できる限り正しく話せば、たとえ同音異語であっても言葉は耳だけで聴き分けられる、絵本の絵が見にくい場合でも意味が受け取りやすくなるのでは、ということでした。

地方に住む者独特のイントネーションをできる限り曖昧にせずに捨て去り、
ついでに意識的にお腹から声を出してみました。

子ども達がグッと集中していることも感じていましたが、私の方も読むことに集中していました。
本気で読んだ、と言っても良いかもしれません。

いつになくお行儀良く帰っていった子ども達を見ながら、こんな日もあるのかと、驚きました。

私には受け取れなかったこの本の意味を、この人達はしっかり読み取ったのでしょう。

子どもの持つポテンシャルにはとても敵わない、つくづくそう思います。
 

赤ずきんちゃん

あかずきんちゃん―グリム童話より
ヤーコプ・ルートビッヒ・グリム
ほるぷ出版
1976-09-01


やんちゃ揃いの1年生。
毎週読み語りをお願いします、と疲れた顔の先生が連れて来る。

今時30人越えの1年生を1人の先生が見るのは大変なことだろう。

先々週は短くてインパクトのある絵本を楽しんだ。 
先週は少し説教臭がしたのか、注意散漫の男児が数名。

このクラスは皆好き勝手に喋り出すので、選書の成功失敗が一目瞭然。

はて今日は。

準備していた『川端誠』 の『お化けの冬ごもり』を見ながら、『かがみの孤城』を思った。

長い昔話を黙って聞けるクラスにはまだ程遠いけど、今日は『赤ずきん』 を読んでみよう。

 私が絵本の読み語りの練習をするのは英語の原書だけ。

基本『声に出して読む』 練習はしない。

図太いので全く初見の本を平気で読む。

今日の『赤ずきん』はポール・ガルドン。
ガルドンを、私は信頼している。

果たして勝手気ままな1年生は、水を打ったような静けさで『赤ずきん』を聞いた。
オオカミのあっけない最期には『ええ?』と声が漏れた。

怖かったらしい。

さすがガルドン。長すぎも短すぎもせず、
実に良い加減に、残酷とも言える昔話を描いた。

長く読み継がれる本と、長く読まれ続ける作家が描く物語には力がある。

読み手の上手下手なんか、作家の魂の前では、ついでみたいなもんなんじゃないのか? 


 

憂鬱だよ全員集合



実のところ、もう小学校2校というのは、精神的に限界かもしれない。

小学生は壊れ物のように繊細でかつ図々しく、未分化だ。

今朝も来年度、小、中2校を希望してダメだったらもうこの仕事はやめようかと思いながら、通勤のハンドルを握った。

一旦学校へ行ってしまえば子どもはそれなりに可愛い。
懐かれれば尚更だ。
 
明日は研修会。
学校司書は全員揃ってお話を伺う。

毎年違った目標を提示され、その通りにやった事を資料に『こんな事したんやけど』 と正直に書けば裏で叩かれ、執念深く何年経っても言われ続ける。
まったくもって面倒くさい女の世界。

憂鬱が全員集合するため息。

 

びっくり調べ学習


小さな小学校。

図書室にいきなり入って来た小学3年女子3人。

『キリスト教について調べてる』(敬語が使えないので、こういう物言いになります)と言って、
『漫画世界の歴史』を開いたり、
『おはなし名画シリーズ』のマリア様の絵を見ています。

後から来た男女混合班は、『魚のスズキについて』調べると言います。

 よくよく聞けば、チャレンジタイムとかいう、総合での取り組みで、2年生に地域の何か、について調べて教えてあげるそうです。

この地方都市の小さな地域の小さなカトリック教会についてどうしても調べたいなら、せめてできることは郷土資料から調べることでは?

もしかしてこの地方のお魚の資料なら、前もって言ってくれれば(せめて10分)出せた地域資料もあったのですが。

ひとつひとつ調べたい内容を聞きながら、手がかりを示していくのですが、郷土資料には漫画も絵もついていませんもの。

筆記用具も持たずに『調べるために』来館する子どもたちです。

私に口を挟まれるのがウザかったらしく、

教会班は『タブレットで調べる』

と帰って行きました。


たしかに歴史の浅い小さな町の教会について、本では調べがつかないでしょう。
でも郷土資料には、もっと大事な地元のランドマークがあるのですから、そちらにシフトしても良いのではと思ったのですが。

この学年は司書がいる日にクラスで図書室を一度も利用していないクラスです。


担任の先生には散々モーションをかけましたが、面倒くさいのでしょう。


週に2度しか来られない小さな小学校。

司書に研修をさせると同時に、先生方にも、『学校司書の使い方』のマニュアルでも作って配布なさるとよろしいのに、とつい、思ってしまいます。


 

コナンは足し算

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『足し算』

異動で新しい学校の図書室に変わったばかりの時。
書架を見ていて笑ってしまいました。


上の棚には「江戸川乱歩」。
その下には「コナン・ドイル」。
さて、この上下の棚を足すと
誰が出て来るでしょう?

そうです!

 
「名探偵コナン」ですね。

 
で、その下の段には更に「ルパン三世」のおじいちゃんがいるんですよー。

というネタを、6年生にもやってみたら、見事に書架の本が動いています。
ホームズものより、怪人二十面相の方が動いていました。

江戸川乱歩の右横のクリスティーにも、阿笠博士が隠れてるって教えてあげればよかった💦

あんなにコナンの学習マンガを取り合うように借りていくのに、

毛利蘭のママの妃英理 も目暮警部も、もったいないな、一生知らないままでいるのかな。


以前中学校で『銀魂』 の登場人物と元ネタの画像を貼って掲示物にしたのですが、『パロディー』を愉しむのは、とても難しいことなんだと思います。


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図書館・図書室ランキング 

鏡に映るのは願い。『かがみの孤城』

かがみの孤城
辻村 深月
ポプラ社
2017-05-11


小学校に去年までいた前任の司書さんが、入れていた『かがみの孤城』。

小学生にもたまにこの手の小説にまで手を伸ばす子がいるので、読んでみた。

ジュブナイルだとは思うけれど
世代に関係なく読むに耐えうると思う。

『二分間の冒険』と比べると、違いは歴然。

純粋に自分のために読むことがあまりなくなってきたとはいえ、
仕事読みの中でもこれは抜群に面白かった。

不登校になってしまった少年少女が、光る鏡の中に入ってみると、そこは『城』。

 各自に部屋が与えられ
共用スペースもあり。

そこに集められた 7人の中学生が抱えるそれぞれの『事情』。
『城』で共に過ごすうちに彼らに起こる『変化』。

子どもの視線は大人に容赦ない。

主人公『こころ』の母親を『子どもの心を忘れた大人』と評した人がいた。

忘れたくらいでなけりゃ、この状況には耐えられない。
私がこの母親なら、こんな風に『善処』はまずできない。

そこではた、と『スクール』の喜多島先生の正体がおぼろげにわかってくる。

童話の『赤ずきん』に見立てた『オオカミ』。
昔話を読んでいれば、わかる仕掛け。

これだってある種のパロディーなのだ。
とても良質な。

これを読みこなせるほど、今の子どもが昔話を読んでいるのか、心もとない。
でも読みこなす必要なんてない。
『童話』を読んでいなくても主題はそこじゃない。



『かがみの孤城』はその点で申し分なく中学生にも面白いだろう。
最後までわからない、意外な謎が多く、幾重にも驚ける。

おおよそのパズルが、SF的な仕掛けが、時間軸がどこを起点としているのか、其々の章立てのはじめには見当がついてしまう、大人にも。

オオカミの正体でさえ。

見当がつくと言うのは悲しいけれど、それは同時に願いだ。

物語の始まりが終わりに重なってほしい、願い。

主人公の、その仲間たち其々の願いが、叶いますように。

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自己満レファレンス事情



昔話のコーナーまで作ったところで、小学生は今更『グリム』や『ペロー』、『アンデルセン』をじっくりとは読まない。

『かがみの孤城』を読みながら、童話の仕掛けに気がつく小学生はいるのかと、つい思う。

柚木麻子の小説に描かれる児童書のように、ライトノベルの青春文学使いのように、若手作家(おばさんにとってですが)は自著に昔読んできた小説をオマージュのように紛れこませる。

 中学生へのレファレンスが、二重に難しくなるのはその点にある。
『ゲーム』 好きは本に興味は無くとも、ゲームを突き詰めると『北欧神話』や『三国志』について聞きに来るし或いは自分で探して読み始める。

『サリンジャーって誰❓』
『ハルキでおススメは何❓』
『アンクル・トムとトム・ソーヤは別人なの⁉️』

驚くほどベタだけれど、ライトノベルや はやみねかおるを読んでさえ、彼らの頭の中は混乱することもある。

新しいライトノベルとセットで新しい装丁の、よくあるイケメン表紙の文学作品も入れておかなくては追いつかない。
去年中学校で『文豪ストレイドッグス』の文豪達の本特集コーナーを作ってみたら、数の多さと本の古さに驚いた。
休み時間は生徒で溢れかえる中学校。

図書室でしか見せない顔をのぞかせて、彼らは短い休み時間を精一杯生きる。

『今、読みたい』気持ちに応えるために、図書室の蔵書が追いつかない時は、時に公共図書館の蔵書を検索し、あれば図書館まで走り。
時にamazon買いし、自分の本を持って来ては手渡した。

小学校では先生が授業で使う本のレファレンスが殆ど。
こちらは数が必要なので公共図書館詣ですることになる。

ついでに小学校の蔵書にない絵本を借りて、その週来たクラスに読んだりする程度。

小学生の可愛いところは、自分のお気に入りのシリーズの欠けている巻、破れて無くなってしまったページを泣きそうな顔で訴えに来てくれるところだ。

週に2、3回しか来ない司書を待って言いに来る。

宗田理の『ぼくらの〜』シリーズは、もう昔のハードカバーでは出版されていないようで。
またしてもamazon1円プラス配送料お急ぎ便で注文し、蔵書データはそのままに、本だけ入れ替えて次の休み時間に教室まで出向く。

パッと輝く笑顔を見ると、それだけで報われる。

『レファレンス』ではない自己満足の世界に陥っていることは、司書仲間には決して明かせない。

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ヒネタ大人になって読む『あしながおじさん』への感傷




 あしながおじさん』を数十年ぶりに読んだ。

言わずと知れたウェブスターの名作。
アステアの映画は借りてきたのに見ることができなかった。

原作もアステアも好き過ぎて、どちらのイメージも壊したくなかった。

大人になって読み直すと、以前は気づかなかったことに気がつくものだ。

ジューディーが『普通の女子学生』の中に入る時の第1のハードルは、皆が成長過程で当然知っているはずの一般常識的事柄がすっかり抜け落ちていたことだった。
たわいない冗談も『メーテルリンク』もわからない。

そこから彼女は猛然と読書を始める。

どんな本を読んだのか、その内容の彼女的解釈、感想、文体、登場人物の言葉を真似て『おじさん』に手紙を書き送る。

女性に参政権がなかった時代に、この手紙は読み手の「ミスター・スミス」にとってどれほど痛快で画期的なものだっただろう。

辛かった少女時代を『今この瞬間を生きることにする』ことで徐々に克服していくジューディーは、
ユーモアと客観性に富んだ物の見方で、学生生活を謳歌し、作家としてデビューする機会を得る。

この本のチャーミングな所は、惨めな思いをして育った「孤児」が知的な、でもごく普通の女子に変貌していくところでもある。
スイーツや服や帽子や靴、室内装飾、家具に至るまで、その抗いがたい興味関心がつぶさに描かれる。

さて、それにしても、だ。

自分が思っていた本の世界の数十分の一しか、実は文字としては描かれていなかったことに今更気が付く。

何度となくこの本を読み返していた頃は、きっと本の文字の間に埋もれる未知の世界を『想像』で膨らませ、はっきりと本の世界を脳内に描きながら読んでいたのだろう。

人生のどの時点でその本に出会ったか。
その映画に、音楽に出会ったか。

これはとても重要なことではないのだろうか。

もし今、私が初めてこの本の読者になっていたとしたら。

この時代のこの階級のお金持ちの言うところの「コミュスト」、「フェミニズム」がどの程度のものだったかを調べ、
慈善施設を作ることの困難さをクリスティーの「魔術の殺人」と比較もするだろう。

本の中に描かれなかった「抜け」にツッコミを入れ、
所詮「シンデレラ」だなんて、思ったかもしれない。

人と出会うことも同じ。

人生のどの時点でその人と出会っていたら、どう変わっていたかわからない。

岩波書店の箱付の本を今も大切に持っているのに、
本がこれ以上いたむのが嫌で、文庫本を買いなおした私は、

『あしながおじさん』に9歳で出会って、幸せだった。

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ナンセンスとイノセンスの間『ジョン・レノンセンス』


以前書いたものの記録です。

絵本ジョン・レノンセンス
ジョン・レノン
晶文社
2013-11-09



 絵本ジョン・レノンセンス 
ジョン・レノン (著), 片岡義男 (翻訳), 加藤直 (翻訳)

Amazon内容紹介より


奔放自在なことばあそび。つぎつぎに生み出した詩、散文、ショート・ショート。余白せましとちりばめられた自筆イラスト――。ビートルズの天才詩人ジョン・レノンが、その底知れぬ笑いの世界をこの一冊にこめて贈る、ナンセンス絵本決定版。

出版社からのコメント
新版の初版には、片岡義男さんの特別エッセイを付録。




ええと、以下は音楽には全くド素人の私見のみで書いております。
「それ違うんじゃない?」というところも多々あるかと思います。
本を読んだら思い出した、程度の話ですので、
音楽にお詳しい方は、どうか読み飛ばしてくださいませ。



私は勿論、「有名になる前のビートルズが好きだった」という内容の、本文とはほとんど関係のない片岡さんの特別エッセイから読んだ。

そしてジョンが書いた本文を、少しだけ真似したかのようなポールの「序文」に、一瞬泣きそうになった。

「日本語に翻訳は不可能」と言われた「In His Own Write」は、「かたちの変化ではなく、口に出して言うときの音の変化」で紡がれた、意味をなさない、詩や散文、戯曲めいたものの集まりだ。

それでもショートショート的な話には、えっ?というオチがあったりする。
意味を考える必要はない。楽しめれば、というのは本当だろう。

少しダールっぽい感じだと言えば近いだろうか。
でも、形のないふわっと消えてしまう言葉の数々は、何にも例えようがない。

ジョンの挿絵はエッチングのようで素晴らしい。

片岡義男の解説には、原文を例にとってどのように翻訳を進めていったかが述べられているが、気の遠くなるような作業だっただろう。
私は不可能だと思われたこの日本語訳の語り口がとても好きだ。
声に出して読みたくなるほど。何度でも。
日本語の奇妙奇天烈な言葉の選び方も、全部気に入っている。

それらがどんなにヘンテコな言葉の羅列であろうとも。

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忘れないうちに、記録のための追記

同僚によると、このタイプの「言葉遊び」は元々イギリスでは珍しくなく、
「A Book of Nonsense by Edward Lear 」=エドワード・リア 『ナンセンスの絵本』などが邦訳されている詩人が有名だとか。
その詩人、エドワード・リアは画家でもあったそうだ。

同僚が自分のお気に入りのエドワード・リアによるリメリック詩をいくつかと、ナンセンス詩を原文で見せながら読んでくれたが、(スマホってほんとに便利)全く意味はわからなかったし、わからなくても当然らしい。
ただ、何と心地の良い言葉転がしであったことか。
お返しに太宰の「女生徒」の出だし、息継ぎもできないような中々終了しないあの文体を読んで笑った。
元ネタのファンレターを書いた女性の日記(?)の話と相まって、話はつきなかった。

さて、エドワード・リアのナンセンス詩は「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルが継承したと同僚の話は続いた。
ダールの「ダール語」と呼ばれる造語にも通じるが、あれは物語にしっかりとした意味があるので、区別した方が良いらしい。

同僚の好みとしては、ルイス・キャロルのわかりにくさよりは、言葉の一つ一つは難しくないが、話の飛び方が異様に面白いのがエドワード・リアなのだそうだ。
ジョン・レノンが19世紀の詩人の作品を読んで育った可能性はあるだろうが、そのあたりは詳しい方はよくご存知の話なのかもしれない。
絵の才能も似ている気がして、興味深い。

wikiより
リメリック(またはリマリック、リムリック、limerick)は厳格な形式を持つ五行詩で、滑稽五行詩、五行戯詩とも呼ばれる。イギリスでは、エドワード・リアによって広まった。リメリック詩はウィットに富んだものやユーモラスなものであることが多く、時には笑いを目的とした猥褻なものもある。




さて、話は「ジョン・レノンセンス」の流れに戻る。

この本は、井上 夢人の「 ラバー・ソウル 」(講談社文庫) と合わせて読んだ。
「ラバー・ソウル」は衝撃だった。
ミステリとしても十分面白い作品なのに、
ビートルズの蘊蓄が勘弁してほしいくらい出てくる。
こんなに分厚い贅沢な愉しみは、ほんとに、勘弁してほしい。

作品世界に、持っていかれる。

色々考えながら読まずにはいられなくなるのだ。


井上夢人の「ラバー・ソウル」は、アルバム『Rubber Soul』の曲の順にそれぞれの章立てがリンクしていて、それだけでも十分に魅力的なのだが、ビートルズナンバーの歌詞に潜むストーカー気質、変質者傾向が同時に明らかにされていくようで、胸がざわざわした。

私が初めてビートルズを聴いたのは、たしかベイシティ・ローラーズのデビュー当時ではなかったかと思う。
姉のカセットテープ(時代が知れますね)には、ラジオからかき集めた洋楽が色々入っていたのだと思う。
その中にビートルズの「Hello, Goodbye」も入っていた。
当然聞き比べたわけだ。


流行りのタータンチェックを拒否した私は、姉に次から次へとビートルズのアルバムのカセットテープを入れてくれるよう頼みこんだ。
テープは何本もダメにした。

中学生になって、姉のおさがりではない、自分のレコードがようやく買えるようになった。
「アビイ・ロード」を真っ先に買った。
「ホワイト・アルバム」はレコードではなく、カセットを買ったと思う。
他のLPは全部姉が進学する時に残して行ったものを貰った。

けれど多分それらには日本語の歌詞まではついていなかったのだ。

姉からもらった文庫版の「ビートルズ詩集」を持っていたが、それを読んでも物足りなかった。
そこで「Maxwell's Silver Hammer」を自分で辞書を引き引き日本語訳してみて、びっくりした。
この作詞者は「レノン・マッカートニー」となっているが、言葉遊びがふんだんに使われていて、歌っていても楽しい曲だったが、こんな歌だったのかと・・・。

他の歌詞も時折「なんじゃこりゃ」と迷宮入りする部分があった。

無垢でいて、ナンセンス。

意味なんて考えるほうがナンセンス。


「ジョン・レノンセンス」と「ラバー・ソウル」を合わせて読んでみて、
何となく、歌詞の不条理、というか、rhymingの妙、そして時折牙をむく陽気な残酷さというものが、これか、と腑に落ちる気がした。

ジョンの才能は、ビートルズのメンバーの、他の誰とも違っていたのだと思う。

音楽の枠に囚われない、実はどんな芸術でも良かった、そんな自由な才能だったのかもしれない。

本は過去を運んでくる。
希望もかもしれないが、年齢と共に、過去の方が圧倒的に多い。

ああ、そうだったのかと、今頃納得したり、意外に思ったりすることも多い。

私の眼がまだ見えるうちに、
読めるだけの本を。





『ゴリラが胸をたたくわけ』とヒトの言葉を考える



 ゴリラとはどのような生き物なのでしょう?

ふとそう思ったのは、キングコングの映画の最後のあたりをチラ見したせいだと思います。
ジェシカ・ラングの1976年版ですね。

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うら若き美しい女性を命をかけて守り、散って行った大きなゴリラ・・・。
んなわけないだろ!
巨大なゴリラを何故美化する?
意味わからん、と、昔映画を観た時は思いましたとも。
ええ、ジェシカ・ラングに一目ぼれだった私ですので、キングコングにはさして興味がなかったのです。
あの時は。

数年後、ジェシカ・ラングの「郵便配達は・・・」にノックアウトされ、
ジャック・ニコルソンのねちっこさが好きだったもので、あれだけは繰り返し見たものですが。

ジャック・ニコルソン演ずるフランクなんて、今にして思えば、ゴリラ以下。
コーラを不幸から救うどころか、ドツボに落としたのは君じゃ・・・と、突然ゴリラ株が上昇しております。

理由はこの本です。
絵本の体裁をとってはいますが、中身は非常に濃い、と思います。






『ゴリラが胸をたたくわけ』
文: 山極 寿一
絵: 阿部知暁


「Ehon Navi」に「みどころ」が掲載されておりますので、一部抜粋させていただきます。


「仲裁してくれる仲間がいるからこそ、ゴリラたちは自己主張しあい、対等な関係を保っていられるのです」




ゴリラのドラミング=ウッホウッホと胸を叩く様子は、ゴリラのことを良く知らないものにとって、「威嚇」あるいは「何か嬉しいことでも?」というようなイメージを抱かせるものです。

この本の作者は元々サルの研究をしている方で、サルとの比較を織り交ぜながらゴリラの生態を追っていきます。

年端のいかないゴリラが、「シルバーバックス」と呼ばれるボス的オスゴリラにすり寄っていくのですが、
それはボスの食べている木の(多分そうだったと・・・)皮に興味を持ち、
食べさせろとアピールするんですね。
これがサルの世界ならいっぺんに撥ね退けられるそうですが、ゴリラはそうしないのです。
わけてあげるんですよ、ちびっこゴリラに。

「絵本ナビ」でも紹介されているように、私もこの本を読みながら驚いたのは、
基本、ゴリラの世界は「争いは避けられないが、決して争いを好むものではない」ということを知ったからなんです。

オスのゴリラは、興奮したり怒ったりすると、独特の匂いを放つそうです。
作者の目の前で、相対峙した2匹のオスゴリラが一触即発になった時にも、
たちまちこの匂いがし始めたそうです。

そこに少しヤングめのゴリラがやってきます。
まだ若いゴリラは、若さゆえの「お調子者」的役割でもって、
喧嘩の仲裁に入るのです。

大人のゴリラ2匹は結局、互いを傷つけあうことなく離れて行ったそうですが、その時にはもうあの「独特の匂い」は消えていたそうです。
いい大人が、中学生くらいの少年に「何やってんの?おっちゃん」と言われ、
「ふん、バカバカしいや。喧嘩なんかやってられっかよ。」ってな感じで出した拳を引っ込めた感じでしょうか。

驚愕の社会性を持った生き物、それがゴリラなのではないでしょうか。

自己主張はするけれど、喧嘩の場に割って入ってきてくれる誰かがいる、ということ。
子どもが大人の懐にスッと入っても拒絶されないこと。

作者は何ら意図なく淡々とゴリラの生態を追っているだけなのに、
何故だか親としての自分を、気が付くと反省してしまいます。

ゴリラと言えど、すんげー高度な調和社会の形成では?

ということで、「キングコング」の「愛」と「散り際」が、俄然リアルなゴリラの生きざまとして私の胸に迫ってきたのでございました。

「ドラミング」を「威嚇」ではなく、「挨拶的なもの」と捉えると、
平和を好む生き物が、ジャングルで活きる術は
人間にもそのまま相通ずる、ということではないのでしょうか。

ゴリラを見る目が変わってみれば、
あの映画『キングコング』の最後の切なさは、
意外に真実を突いたものだったのかもしれません。

人間同士にも、「仲裁役」が機能すればいいのにと、願わずにはいられない昨今です。


追記
これとセット読みしたのが
『学校生活 自分防衛軍』 宮田雄吾/著 という本です。



うーむ。
ゴリラと人間の違いが
【言葉】であることをひしひしと感じます。

こちらの本では、人が離婚したり、誰かが人を刺したりするときには、
「別れよう」という言葉を実際何度も口にしてきた、または心の中で「言葉」として意識してきた、
「やれるもんならやってみろ」と実際に相手に言ってしまった、
そういった経緯が高確率であるそうなのです。

「言葉」「言魂」の尊さと怖さが精神医学の観点から浮かび上がります。


息子の自己肯定感が低いのは、
私のドS発言が彼の中で積み重なった結果では・・・とまたしても反省いたします。

なんだよー。

ジェシカ・ラングとキングコングの話じゃなかったのかよー。

ブログトップの写真でここまで読まれた方、
2転3転するオチでごめんなさいっ



ホのつくところ

『ホのつくところ』


図書室の椅子の下に、どんぐりがコロリンと落ちていました。

秋から冬への、澄んだ空気。 

給食を食べに職員室に行くと、暴れん坊の一年生が、若くて綺麗な保健室の先生と椅子に座ってグダグダ中。

『それで、給食は学級で食べないなら教頭先生と食べる?』と素敵な笑顔で保健室の先生が言います。

『‥オレ、ホのつくところがいい』

『えーと   💬       保健室〜〜⁉︎』

『ホのつくところ』とは、なんとなんと粋な言い回しではありませんか⁉️
 
保健室の先生がお気に入りの暴れん坊。
 
彼は、気に入らなければ暴れん坊ですが、実はとても賢い子です。
 
語彙の豊富さに驚きながら、1年生の『ホの字』に、思わず笑ってしまったのでした。


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HSP『敏感にもほどがある』でも必要な人々

敏感にもほどがある
高橋 敦
きこ書房
2017-09-05



 『HSP』
『敏感にもほどがある』
高橋敦/著

Highly Sensitive Person 
人口の15〜20%ほどいると言われる『HSP』。
E.N.アーロン博士の研究を元に著者の体験を綴った、ある種の人々の違和感、生きづらさの理由を『生物学的特徴』として解き明かします。
 
中学生向けの軽い読み物かと思っていたのですが、自分にとって目からウロコの一冊でした。
 
心理学の講師をしている保育園時代のママ友と、昨夜この話で盛り上がりました。
 
『敏感な』ことが本人にとって、社会生活を営む上でいかに困難でも、生物学的にはこういう人が必要という不思議。
 
炭鉱のカナリアとして生きていくしかない人々に向けた明るいお知らせとしておすすめです。


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リアル ブラック

どんな図書室にしたいか。

そう考えられる司書や図書館担当の先生は幸せな気がします。

目標を立てる以前に。

基本的な問題が山積みで、まずお掃除の習慣からお掃除当番さんと一緒に作り上げて行かなくてならない、そんな日常。

ホコリだらけでダニの温床でしかない真っ黒なぬいぐるみを隠れて少しずつ処分し。
修理しきれないままのミッケ系絵本の山を思い切って除籍。

床に置かれ、書架に適当に突っ込まれ、時に書架の裏に隠される本。
新たに作り直して固定してもビリビリと剥がされて床に散らばる書架表示。

目標は、ものすごーく低く低く。
でなければやっていられません。


 ある程度は清潔で、ある程度スッキリ使いやすく、どこにどんな本があるのかわかる。

ただそれだけを保つことさえ、とても難しい時。

『次、働く自動車なんですけど』
 『すがたを変える食べものの本は』
『水産業の資料と地域の旬の魚は』 

単元によって特に使われる参考資料の本はまとめておいて書架表示を付けています。

『ここにまとめてますよー』 と言えばそこからごっそり持って行って使って頂けるわけです。

地域資料は使えそうなものを都道府県や国のサイトから可能な限りプリントアウトして冊子にし、クリアファイルに入れ、ラミネートした表示を書架表示と同じように作ってクリアファイルに付けて関連図書の間に入れておきます。

パンフレットを送って頂くこともあれば、学校の帰りに冊子を頂いて来ることもあります。 
 
図書室にいながらいつも思うのは、 資料と本を相手にしているのではないということ。

人と、生きた情報を相手にしているのです。 


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