アリスの同類

図書室からはじまる、冒険

ジュブナイル

パッとしない子 辻村深月

『パッとしない子』
辻村深月/著

パッとしない子 (Kindle Single)
辻村 深月
Amazon Publishing
2017-07-14


アマゾンprimeはまた新しいサービスを始めました。ビデオもミュージックもとてもありがたいのですが、ついにkindle版の本も一部読み放題になったのです。
早速読んだのがこれでした。

小学校に、トップアイドルになった卒業生が番組の収録でやって来ます。
アイドルとなった彼は、弟の担任だった女性教師に話したいことがある、と言うのですが‥。
悪気のなさが産む罪。
どこにでもありがちな話で、しかも怖い。
この『悪気わるぎ』か『悪意あくい』か、というギリギリを描くのがこの作家は得意なのだろうかと思うのですが、勢いで読んだ『サクラ咲く』はジュブナイル小説として素晴らしい連作短編集でした。

ドラえもん短歌

『ドラえもん短歌』

「ドラえもん」をテーマにネットで短歌を募ったところ、良作が集まり本になったそうです。

「自転車で  君を家まで送ってた  どこでもドアが  なくてよかった」

こう来たか!というやられた感に、幸せを感じる一冊です。

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大統領の陰謀

『All the President’s men ー大統領の陰謀』

大統領の陰謀 (字幕版)
ロバート・レッドフォード
2013-11-26



大統領の陰謀 (1980年) (文春文庫)
カール・バーンスタン
文藝春秋
1980-11-25

 
『映画 大統領の陰謀』で、
ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン演ずる若いワシントン・ポスト社の記者が追求し、調査したのはニクソン大統領を辞任に追い込むきっかけとなった『ウォーターゲート事件』。
CSで初めてこの映画を観ながら、オープニングの侵入事件のシーンをとても良く知っている気がしました。
不思議に思って調べてみると、犯人は常盤新平さんでした。
この本の翻訳者、常盤新平が私は大好きでした。
彼の『遠いアメリカ』を何度も何度も読んでいた頃です。
このノンフィクションの冒頭は、映画よりずっと詳細でサスペンスに満ちていた記憶が立ち上って来ます。
事件があまりに複雑で関係者が多すぎ、事件の全容が少しでも理解できないかと、別の本か何かで調べたことも思い出しました。

記憶というものは本当に曖昧で、すっかり忘れていた本のこと、興味を持って調べたことなどが今頃映画で掘り返されたのでした。
映画『大統領の陰謀』もまた素晴らしいものでした。
広い編集部を主人公たちが行き来する長回しや繰り返し取るメモのアップ、タイプライターの音。
俳優達の熱演は、ニクソン辞任後わずか2年でこの映画が製作されたことと無関係ではないと思うのです。

ぼっちですが、なにか❓



タイトルだけで選書リストに入れてしまった青い鳥文庫のシリーズものです。

美琴は小学6年生。
同じクラスの『女王さま』 、亜里沙の『無視ターゲット』にされて以来、自ら『ぼっち』であることを選び、『誰も信用しない』、を貫いています。

担任の景子先生はそんな美琴に教頭先生の命で作られた『生活向上委員会』の委員になってほしいと頼みますが。
人と関わることが嫌になっていた美琴は、『名前だけなら貸していい』という条件で渋々委員会の部屋へ。

『生活向上委員会』とは『児童生徒のよろずお悩み相談所』のようなもの。
こんな面倒くさい委員会に入る子なんていない‥はずでした。

 ところが委員会の初会合には、もう1人、カエル顔のキザな転校生、瑠偉が。

瑠偉はそこに最初の相談者を連れて来ていました。

瑠偉の押しの強さに最初は仕方なく相談者の『お悩み』解決に向かって一緒に活動を始めた美琴でしたが‥。

 たとえいじめの加害者であっても、相談に来た子の心の闇(一応ライトな筆致ですが)に踏み込み、いじめた子もいじめられた子も、両方の『生活向上』を目指す。

1巻の終わりで瑠偉が決めた『生活向上委員会』の決まりごとがいい。

なかなか面白いシリーズの始まりです。

小学生版ライトノベル、と括ってしまうのが申し訳ない程。
漫画を文字にした感じですが、文字への取っ掛かりにはぴったり。

何も考えずに楽しめて、ちょっと元気になって読み終わることのできる本。

一冊読み終わるたびに委員会の仲間が成長していることに安心感と更なる期待も持ててしまう。


それにしても、『アリスのうさぎ』 にはリアリティを求めるくせにこちらの青い鳥文庫にはフィクションらしさを探しているのは、何故でしょう?

 
追記

昨日8巻を読みましたが、面白くて一気読みでした。 
天才的頭脳を持つ人たちは確かにいますよね。
小学生のコメディーではあるのですが、天才児の描き方は決して甘くなく、ちょっとSFっぽい雰囲気さえ醸すほど。小さな謎、謎めいた人物の真実って、やはり知りたくなるものです。
 

ジュブナイルの定義



大人読みのジュブナイルは、どうしても自分の子ども時代との比較に終わってしまいがちです。

この本は誰に向けて書かれたのだろう?と考えるタイプの本は結構ありますが、これもその1つ。

小学5年生が1つの変わり目であることは、私も親なので何となくわかるのですが、ただ彼らがこの本を読んでどうするんだ、と小学校の図書室に置いてあると思ってしまいます。 

クラスメンバー1人ひとりに焦点を当て、主人公が入れ替わりながら話がリンクして行きます。

登場する小学生たちの現実はリアルで読んでいて辛い程。
『大きな夢や希望』 の代わりに『現状に耐えてそれでも生きろ』とも読めるメッセージは、本で読むには重く。
大人には泣けますが。

同じ5年生でひとクラスの 短編を繋いでいく話なら、『12歳たちの伝説』は子どもが読んでも面白いと思うのですけれど。

両親の離婚。容姿コンプレックス。
DV被害に遭った母娘の貧困、姉弟の成長に伴う確執、好きな人争い。
そして拉致監禁から危うく助かった少女のPTSD。

読むなら中学生位からかなとは思いましたが、コンピュータによると意外に借りられていてびっくり。

タフだなぁと感心している場合ではないのかもしれませんが、イマドキ小学生は侮れない。

この本の小学生たちは皆前向きで、担任の先生も子ども達に励まされるように痛手を乗り越えて行こうとします。それは確かに感動的ではあるのですが。

本の表紙は『どこでもドア』で、辛い現実に生きているならばドアの向こうに逃げ込んでしまいたいと思ってきた私は、ドアの向こうでまで悲しい思いをするなんて、真っ平御免です。

 本に何を求めるのか、という姿勢が、私の場合娯楽に近いのかもしれませんね。

ジュブナイルの定義は、本に求めるものが違えば人によっても変わるものかもしれません。




 
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