アリスの同類

図書室からはじまる、冒険

911 詩歌

『いろんな人の俳句』




 『いろんな人の俳句  うしろすがた』村井康司編/岩崎書店

今日はこの本に呼ばれました。
 
子どもとその周りの風景を中心にした俳句が集められています。
 
絵が大好き。そして、俳句そのものが面白い。

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ドラえもん短歌

『ドラえもん短歌』

「ドラえもん」をテーマにネットで短歌を募ったところ、良作が集まり本になったそうです。

「自転車で  君を家まで送ってた  どこでもドアが  なくてよかった」

こう来たか!というやられた感に、幸せを感じる一冊です。

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雪降り積む

『雪国』で思い出しました。

「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。(三好達治「雪」より)」



調べてみると、三好達治の生い立ちに、この詩の太郎と次郎の事情が浮かび上がる、らしいのです。
ほんの2行の詩に、ネットの記事はこのような情報を教えてくれました。

以下記録のため記事の抜粋です。

Yomiuri.comより
『幼き日の別離 詩の源泉』
2015.2.2
「わずかに2行の詩だ。そらんじている人もあるだろう。雪ふりつむ、雪ふりつむ……と繰り返せば、まぶたにほの白く、屋根の連なりが浮かぶ。幼い子らは眠りに落ち、すうすう小さな寝息が聞こえてくる。

 ただ、解釈は案外難しい。太郎、次郎は兄弟なのか。であるなら、なぜ別々の屋根の下にいるのか。

 ふたりの居場所について、「恐らくは舞鶴と大阪ぐらいは離れているであろう」とみた人もいる。現代美術では指折りの画商で、約7年前に亡くなった佐谷和彦さんである。

 確かに作者の三好達治は、つかの間だが、舞鶴にいた。まだ小学校に上がらない頃、大阪の生家から舞鶴の家具商へ、養子に行くことになったのだ。

 詩人の回想によれば、ある夏の夕暮れ、「来客のS――さん」を迎えた父は食卓にビール瓶を並べ、大人の話をしていた。次の間で姉妹や弟と遊んでいた長男の三好は不意に呼ばれ、「お前は、この小父おじさんのお家うちへ行くかい?」と聞かれた。
どういう意味なのか、しばし身を硬くした少年は、きっぱり「行く」と答えた。S――さんが以前に立ち寄った際に、カジカの籠を携えていて、かれんな姿が気に入っていたからだ。舞鶴へ向かう汽車の中でも、カジカはおうちにいる?と尋ねてみた。だが、舞鶴の家のどこにも小さな生き物は見あたらなかった。

 結局は縁組に至らず、三好は兵庫の祖母に引き取られた。S――さんは別の家から養子を迎えた。その人の長男がほかでもない、先の佐谷さんである。
著書『画廊のしごと』に収録の一文によると、佐谷家では利発な三好をかわいがった。三好も旧制高校時代にはよく舞鶴に遊びにきた。

 それでも幼い頃には、眠れない冬の一夜もあっただろう。その体験が「心の底に沈澱ちんでんし、発酵し、詩の源泉と化した」と佐谷さんは記す。舞鶴説に賛同する人は少なくない。

 舞鶴の地にも、遠く親兄弟が暮らす大阪にも雪はふりつむ。ただ、あまねく小さき者の上に、と言うべきかもしれない。寂しさも悲しみも包み込む雪、そして眠りは彼らにとって、限りない慰謝なのだから。(文・前田恭二)」
抜粋おわり


たった2行の詩の後ろにあるもの。

作家の思いは大切に。
忘れないよいうに。
レファレンスには、こういった何でもないようでいて深いバックグラウンドが必要なのかもしれません。

 

『きりなしうた』で笑う。

いち (しのえほん)
谷川 俊太郎
国土社
1987-06-01


挿絵は佐野洋子さん。

この絵本の詩はどれも小学校で読むには丁度良いと思います。

新入生、卒業生、どの子どもにも、愛されているというひと時を感じさせる美しさです。 

今日の1年生ふたクラスには、『きりなしうた』 を読むことにしました。

早く宿題をしなさいと急かす『おかあさん役』 は司書が。

ページをコピーして先生のパートに丸をつけ、『はわい』 ではわからないので『ハワイ』とカタカナを振り。

次々に言い訳 する子どもの役を先生にしていただくのです。

担任の先生と司書の『きりのない』かけ合いは、1年生には言葉が分かりにくいところもありますが、なんだか自分たちの先生が子どもになりきっている様子がわかるとケラケラとそこら中に笑いが転がります。

 寒い寒いみぞれの降るような冷たい1日。

子どもたちの体温と笑い声で温められた 図書室は、とても居心地の良い場所になります。

子どもたちもですが、先生方の肩の力もふう、と抜けていく、 谷川俊太郎の詩のマジック。

 

ターシャ・テューダーとエミリー


本屋に行く。

先月は小さな「こだわりの本屋」でずいぶん楽しんだが
昨日はデカい本屋に腰を据えた。

どうも足が痛いなあと思ったら、3時間たっていた。
こんなこと、小さな本屋ではできない。

夢中になっていたのは
「ターシャ・テューダー」コーナー。

花に関する諸々の諸雑誌と洋書絵本のコーナーの間に
うまいことターシャのコーナーが収まっていた。

クリスマスから新年にかけて、カレンダーとしても人気が高いターシャの庭だが、
彼女の画集でコーナーを作った本屋はえらい。

棚の上部からあたるライトは暖かい色。

私が時間を忘れてうっとりしていたのは
「ターシャ・テューダー」×「エミリー・ディキンソン」の本。

まぶしい庭へ
エミリー・ディキンスン
KADOKAWA/メディアファクトリー
2014-07-04


「まぶしい庭へ」  
エミリー・ディキンスン (著), ターシャ・テューダー (イラスト) 


「BOOK」データベースによれば

 “アメリカ文学史上の奇跡”と讃えられるディキンスン。生涯、自然を友とし、描いてきたターシャ。ふたつの才能が出会い、世界の見えない扉が開いていく…22編の詩を収めた詩画集。 




ターシャは他にも様々な詩に自ら挿絵を付けた本を何冊も出している。
その中でもエミリー・ディキンソンは多く扱われている詩人。



「心に風が吹き、かかとに炎が燃えている」
ターシャ・テューダー 編・絵(メディアファクトリー)





「ローズマリーは思い出の花」
ターシャ・テューダー 著(メディアファクトリー)


エミリーの詩は難解なものが多いと言われているが
原語を読む限り、難解なのではなく、彼女はそのようにしか書けなかった、という方が近いのではないか、と思う。
今ならば何とでも名前がつけられるであろう、彼女の特性が色濃く表れている言葉の繋ぎ。

「The Woman in White」と呼ばれた彼女の、内へ内へと向かう果てない宇宙。
エミリーが住んだ彼女の両親の家も、ターシャの庭同様に、花で一杯だったそうだ。

生前、地方紙に掲載された彼女の詩はどれも
「出してもいい」とようやく判断された「指の数だけ」のみ。

彼女の死後、残された膨大な詩を出版しようと奔走したのは妹だった。

youtubeに彼女の生涯をつづった動画がある。
https://youtu.be/qiHWnwUwACs?t=312

そしてこちらはエミリーの"The Brain is wider than the Sky"~頭の中は空より広い~についての考察である。
http://engl1022websiteproject.wikispaces.com/THE+BRAIN+IS+WIDER+THAN+THE+SKY


The Brain -- is wider than the Sky 

The Brain -- is wider than the Sky 
For -- put them side by side 
The one the other will contain 
With ease -- and You -- beside 

The Brain is deeper than the Sea 
For -- hold them -- Blue to Blue 
The one the other will absorb 
As Sponges -- Buckets -- do 

The Brain is just the weight of God 
For -- Heft them -- Pound for Pound 
And they will differ -- if they do 
As Syllable from Sound 

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はどそん

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